耳の記憶/音の記録〜荒浜の宝を探して〜
投稿日:2021年04月07日(水)
このイベントは終了しました。
荒浜地区は「半農半漁」という言葉で表現されることが多いそうです。「半農半漁」とは半分農業で暮らしをたて半分漁業で暮らしをたてるという意味で、農業をできる平野部もあれば漁業をできる海もある、様々な自然の恵みがある地域であることを象徴する言葉であると言えます。
写真は「エグリガッコ」と呼ばれる和船で、何人もが力を合わせて海へと押し出している様子です。昭和37年(1962年)に撮影されたもので、当時このような光景がよく見られたそうです。
こちらは荒浜地区の写真です。震災前荒浜は「都会だった」と言われることもあるほど、住宅や商店なども多く仙台市の沿岸部の中では一番栄えた地域だったそうです。
看板には「歓迎深沼海水浴場」とあり、深い松林を抜けると海水浴を楽しむこともできました。
しかし、震災後は津波で松林も流され、ぽつぽつと残るだけになってしまいました。よく地元の方に「何にもなくなってしまった」という話を聞きますが、本当にそうなんでしょうか、皆さんにも今日考えてもらいたい、と田澤さんは話します。夏場歩くとハマナスが実をつけていたり、小さい松も育ってきています。深沼の海水浴場も活動によりきれいに保たれています。残された自然を、荒浜地区で見ることができます。
自然だけではありません。人の営みも戻ってきています。スケボーパークを作ったり、鉄工所ができたり。鉄工所は震災前からあったものではなく、震災前から鉄工所を営んでいた方が、自宅跡地にもう一回鉄工所を作ったそうです。このように、人の営みも戻ってきているのが、まもなく震災から10年を迎える荒浜地区の現状です。
これは、荒浜小に設置してある震災前の荒浜地区の模型です。多くの住宅があったことが見て取れます。これだけ多くの人の暮らしがあった地域の中で、これまで聞こえていた音、これから残していきたい音とは何なのか、後半はゲストで写真家の佐藤豊さん、音楽家の佐藤那美さん(お二人とも荒浜で暮らしていました)をお招きし、共有しながら、再びみなさんが荒浜に行くきっかけを作れれば良いですね。ここまで、田澤さんにお話しいただきました。
ここからは、福島大学の永幡幸司教授にそもそも「暮らしの中の音」や、「音を聞く」とはどういうことなのか、お話をしていただきます。
まず、「音」とは何なのでしょうか。
音には大きく分けて、2つの定義があります。1つ目が、「弾性波」という定義で、2つ目は、「音波によって引き起こされる聴覚的感覚」という定義です。
音の物理的なふるまいを研究する人たちにとっては、1つ目の「弾性波」という定義を使いますが、永幡先生のように騒音など音と人の関わりを研究する人にとっては、2つ目の定義を使用します。
なぜ二つの定義を用いるのか、簡単な例から紹介します。
「プーーーーーーー」永幡先生が音を流します。皆さん聞くことができました。これは、どちらの定義にとっても、音です。
これはどうでしょうか。「………」おや、何も聞こえません。実は、高い周波数の音が流れています。高校生、大学生くらいまでであれば聞こえるそうですが、大人には聞こえない音だそうです。この音は、1つ目の定義では音ですが、二つ目の定義には当てはまりません。
今日話したいのは2つ目の定義での、音です。
音を聞くうえで大事なのは、「誰が」聞いたのかもセットで考える必要があります。
先生は、音響学という分野の中の、騒音、さらにサウンドスケープという分野の研究者だそうです。「サウンドスケープ」とは、landscape(目で見える世界)という言葉をヒントにしたsound(音)+scape(〜の眺め)から成り立つ造語で、「耳で聞こえる世界」という意味です。
研究者からすると、「サウンドスケープ」とは、音環境を、人(々)が自分(達)を取り巻く音の世界をどのように捉えているのかに着目している立場と説明できます。
話は少しそれますが、音の環境問題について考えてみましょう。仙台市が発行している、仙台市の環境現況と実施した施策をまとめた冊子には、「騒音」に関する項目が設けられています。騒音は、公害苦情の中でもかなりの割合を占めています。
でも、音は環境に負の影響を与えるだけなのでしょうか?先生は、音の研究者として、はっきり「ノー」と言いたいと話します。
環境庁(当時)が1996年に行った事業で、「残したい日本の音風景100選」というものがあります。これは、「全国各地で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境(音風景)を広く公募し、音環境を保全するうえで特に意義があると認められるもの」として選定されたものです。実は仙台市からも選ばれていて、「宮城野のスズムシ」や、「広瀬川のカジカガエル」が選定されています。鳴き声も実際に聞いてみました。とても美しいですね。
宮城野のスズムシは、「七振り鳴く」と説明されていますが、先生は最高で5回までしか聞いたことがないそうです。残念ながら現在仙台市内で野生のスズムシは絶滅してしまい、外で鳴いているスズムシがいたとすれば、それは放虫されたものです。
カジカガエルについては、町中で聞けるということがとても珍しく、仙台市のカジカガエルはとても貴重な環境資源といえるそうです。
仙台市の生物多様性保全推進事業では、仙台市にゆかりのあるカジカガエルやカッコウ、スズムシなどの奏でる音に着目した取り組みを行っています。音に着目するのは、とても良い取り組みではないかと先生は話します。でも、まだ不十分なところもあるとのではないかと話します。
例えば、仙台市や、荒浜、自分が住んでいる地域の「音の宝」と言われてすぐに答えられる人は、なかなかいないと思います。まだまだ人々の音に対する意識が向いていないという意味で、もう一段階頑張りたいとのことです。
2010年ころ、サウンドスケープ研究者の間で国際的に「From “Noise as Waste” to “Sound as a Resource”」という言葉が流行したそうです。これは、身の回りの音で「不要な音」である騒音だけに目を向けるのではなく、生活を彩る様々な音を「資源」だという目で見てみようという言葉です。日本の音風景100選や仙台市の生物多様性保全推進事業は好例として挙げられるのではとのことです。
ここでクイズです。荒浜の音はどれでしょう。3つの波音を聞いてみました。
3番目の音に手が多く上がりました。皆さん正解です。このような音も、資源になり得ます。
次に聞くのは…これは祭りのお囃子の音ですね。このような、地域文化に関する音も、資源になり得ます。
資源としての音になり得そうな音は、季節を告げる音、ある場所らしい音、地域文化が育んできた音など様々ありますが、いずれにも共通点があります。それは、「皆がよく知っている音である」「皆が好意的に思っている音である」ということです。今日は「荒浜で、そういう音って何だろう」と考えていきたいと先生は話します。
もしある音に対し皆が皆好意的でなくなると、近年あまり鳴らさなくなっている除夜の鐘のように、騒音問題となる可能性があります。そのため、資源としての音を守るためには、価値の共有を保ち続ける必要があります。そして、地域の環境資源を守るには、その価値を感じている人が周囲に伝え続けていく必要があります。
一方で音はすぐに消えてしまうため、「音を残す」ということはとても難しいことであると言えます。
荒浜は、現在跡地利活用事業で急激に変わりつつあります。
「荒浜で聞こえる音の宝ってどんな音?」「これからも荒浜で聞き続けたい音は?」「昔、荒浜で聞いた音で復活させたい音は?」このようなことを考えながら管理しないと、音は消えてしまいます。消えてしまうということは、宝がなくなってしまうことを意味します。それを防ぐために、みんなで荒浜の宝を探そうというのがやりたいことです。
今日は実際に荒浜に暮らしていた、海辺の図書館の専属カメラマンである佐藤豊さん、音楽家の佐藤那美さんにも来てもらって、耳の記憶に頼りながらこれからも聞き続けたい音の宝とはなんだろうかということを議論していきたいと思います。
ここまで永幡先生にお話しいただきました。ここからは、佐藤豊さん、佐藤那美さんにも参加いただき、お話を伺いたいと思います。
まずお話を伺うのは、昭和12年生まれの佐藤豊さんです。佐藤豊さんは、深沼海水浴場のそばにある「海辺の図書館」を活動拠点にしながら、さまざまな荒浜の光景を写真に収めたり、集めたりしています。
これは豊さんが撮影した荒浜の写真です。テトラポットがあると、波がぶつかり荒々しい音が聞こえるそうですが、豊さんが小さかった頃は、テトラポットはなく砂浜だったそうで、今ほど大きな波音はしなかったそうです。
これは震災後の荒浜の様子です。撮影されたのは2011年の5月頃で、震災直後はがれきしかなかった荒浜に緑が復活したのを見たとき、自然の強さを実感したそうです。
これは貞山堀の写真で、荒浜を象徴する風景です。荒浜では、昔から灯篭流しが行われてきました。震災後も1回も休むことなく続いているそうです。
この写真は、どういった理由で選ばれたのでしょうか。
今回永幡先生から音の思い出、宝と言われたときに、荒浜の音と言えば初めは波の音しか思い浮かばなかったが、井戸ポンプを思い出したとのことです。井戸ポンプは使うときに「ガッチャン」と音が出るため、「ガッチャンポンプ」と豊さんは呼んでいたそうです。この井戸を見るたび、音が思い浮かんできたそうです。たまたま荒浜でこのポンプを見つけ、うれしくなって撮影したそうです。去年からこのポンプはなくなり、井戸だけになっているそうですが、別の場所に2か所設置され、豊さんにとって思い出のポンプの姿は、まだ残っているそうです。
最後にこちらの写真です。豊さんは、音のない風景も好きとのことで、しんしんとしたとても静かな時に飛行機雲が表れ、その瞬間を良いなと感じ、この写真を撮ったそうです。
田澤さんは、自分のような外部の人から見ると、荒浜の音と言えば荒々しい波の音という印象ですが、豊さんにとってはいつも聞いていたために音としての認識がなかったというのも印象的で、また音のない風景も好きというのが荒浜に暮らしてきた豊さんらしい視点だと思う、と話しました。
続いてここからは、佐藤那美さんのお話を伺います。
佐藤那美さんは、1990年生まれ、荒浜で育ちました。荒浜には、6つの地区があり、その中でも80年代にできた新興住宅街の、新町で育ったそうです。
会場では佐藤那美さんが作った曲を流しながらお話しいただいています。曲は、「Arahama」というタイトルで、2017年、荒浜の海岸で震災後初めての海開きが行われた時の音を録音し、その音を使って作った曲だそうです。
豊さんの時代は今と違い、お金で何でも買えるような時代ではなく、今よりも環境と生活がとても密接で、「盆踊りの音」「ガッチャンポンプの音」などいろいろな音が存在していたのではないかと話します。那美さんが荒浜に育ったころに覚えている音は「消防団の火の用心の音」「小学校の鐘の音」「キジの鳴き声」などで、今では失われた音もあります。
次に聞く曲は、三本塚でずんだ餅を作っている時の音を散りばめた曲です。ぽんぽんとずんだもちをつくときのすりこぎの音がたくさん使用され、作っているときの人の声も入っています。
このように、音楽を作って今ある音に価値をつけたり、記録するということは、違う国の誰かやここにいない誰かにも聞いてもらい、価値のあるものだと認識してもらうこともできるため、とても意味があることなのではないかと話します。そして、価値のある音を記録できるように頑張りたいと締めくくってくださいました。
ここからは田澤さんから、永幡先生、佐藤豊さん、佐藤那美さんの3人にお話を伺っていきます。
ある意味よそものである永幡先生にとって、荒浜の一番印象に残っている音は何なのでしょうか。永幡先生にとっては、荒浜の荒波の音だそうです。先生が録音した音も聞いていただきました。またキジも印象的で、キジの鳴き声の後になかなか録音できない羽を打つ音を録音できたことがとてもうれしく、荒浜と言えばキジというイメージができたそうです。灯篭流しでの念仏の音も印象的で、若い人は歌えない念仏を、どうにか後世に残していきたいとのことです。荒浜の風景が変わりつつある中、このような音をどうやって残していくかが今問われているのではないかと永幡先生は話します。
どんづきの音のお話を、佐藤豊さんからお話しいただきました。どんづきとは地ならしの意味で、昔は丸太を滑車につなぎ、地面に落として地ならしをしていたそうです。その時にみなで歌を歌って、力を合わせていたそうです。ただ今はその歌を覚えていないそうです。
田澤さんは、現在はみなで力を合わせるという場面が少なくなったたため、作業歌自体が失われていると話します。昔は田植えをするときにも歌を歌っていたり、冒頭に登場したエグリガッコでも歌を歌っていたのではないかとのことです。
佐藤那美さんは、音楽の起源は生活から出てきた音や、自然の音を真似したところから生まれたという説もあり、作業歌が生まれたことはとても自然なことなのではないかと話します。
最後に田澤さんは、今日のテーマは「荒浜の宝を探して」ですが、目に見えなくなってしまった宝があるということを考えさせられる一方、話を聞くことによって残せる宝もたくさんあり、ぜひ荒浜を訪れて色々な宝を見つけてほしいと締めくくりました。
今日の講座では、鳴り砂の体験コーナーも用意されました。用意してくださったのは、仙台湾鳴り砂探究会代表の早川さんです。早川さんは、主に仙台湾を中心に鳴り砂の調査をされています。
私も実際に体験してみました。ぐい飲みに砂を入れ、乾電池で砂を押します。すると、きゅっきゅっと音が鳴りました。日本各地の鳴り砂の中でも、日本海側の砂は比較的よく鳴るそうで、荒波で砂が磨かれることが理由だそうです。
荒浜の砂も震災の後は全く鳴らなかったそうですが、震災後時間がたち、鳴るようになってきたそうです。防潮堤がない場所とある場所では鳴き方が違い、防潮堤がない場所の方が、波によく洗われるため、よく鳴くそうです。また季節では、夏よりも冬の方がよく鳴くそうで、夏は日焼け止めの油によって砂が汚れてしまうからだそうです。環境を守ることの大切さがよく分かりますね。
「耳の記憶/音の記録」は今後も実施予定ですので、ぜひまた参加してみてくださいね!
2月28日(日)にせんだい環境学習館たまきさんサロンにて、「耳の記憶/音の記録〜荒浜の宝を探して〜」と題し、講座を開催しました。
「耳の記憶/音の記録」は、自然の中の音、日々の営みが紡ぐ音、生きものたちの鳴き声など、さまざまな「音」が織りなす世界を手掛かりに、次世代に残していきたい仙台の宝物(環境資源)について考える講座です。
今回の講座は、3回目の実施です。1回目は、令和元年6月8日(日)に海岸公園冒険広場にて、仙台市環境局が実施している「生物多様性保全推進事業」の一環として「音の記録/耳の記憶-未来の素敵な環境づくりの手がかりとしてー」を開催しました。2回目は、令和2年2月26日(日)に「耳の記憶/音の記録〜音からたどる海辺の暮らし〜」と題し、たまきさんサロンで開催しました。
1回目と2回目の講座の詳しい内容は、以下のリンクからご覧ください。
1回目:https://www.tamaki3.jp/blog/?p=26234
2回目:https://www.tamaki3.jp/blog/?p=28637
今回は、若林区荒浜地区での暮らしの中の「音」に注目し、実際に荒浜に暮らしていた方々のお話も伺いながら、考えていきたいと思います。
本日司会を務めていただいたのは、仙台市市民文化事業団の田澤紘子さんです。田澤さんは、平成30年までせんだい3.11メモリアル交流館に勤めておられました。まず初めに、田澤さんから荒浜地区について様々なお話を伺いました。
荒浜地区は「半農半漁」という言葉で表現されることが多いそうです。「半農半漁」とは半分農業で暮らしをたて半分漁業で暮らしをたてるという意味で、農業をできる平野部もあれば漁業をできる海もある、様々な自然の恵みがある地域であることを象徴する言葉であると言えます。
写真は「エグリガッコ」と呼ばれる和船で、何人もが力を合わせて海へと押し出している様子です。昭和37年(1962年)に撮影されたもので、当時このような光景がよく見られたそうです。
こちらは荒浜地区の写真です。震災前荒浜は「都会だった」と言われることもあるほど、住宅や商店なども多く仙台市の沿岸部の中では一番栄えた地域だったそうです。
看板には「歓迎深沼海水浴場」とあり、深い松林を抜けると海水浴を楽しむこともできました。
しかし、震災後は津波で松林も流され、ぽつぽつと残るだけになってしまいました。よく地元の方に「何にもなくなってしまった」という話を聞きますが、本当にそうなんでしょうか、皆さんにも今日考えてもらいたい、と田澤さんは話します。夏場歩くとハマナスが実をつけていたり、小さい松も育ってきています。深沼の海水浴場も活動によりきれいに保たれています。残された自然を、荒浜地区で見ることができます。
自然だけではありません。人の営みも戻ってきています。スケボーパークを作ったり、鉄工所ができたり。鉄工所は震災前からあったものではなく、震災前から鉄工所を営んでいた方が、自宅跡地にもう一回鉄工所を作ったそうです。このように、人の営みも戻ってきているのが、まもなく震災から10年を迎える荒浜地区の現状です。
これは、荒浜小に設置してある震災前の荒浜地区の模型です。多くの住宅があったことが見て取れます。これだけ多くの人の暮らしがあった地域の中で、これまで聞こえていた音、これから残していきたい音とは何なのか、後半はゲストで写真家の佐藤豊さん、音楽家の佐藤那美さん(お二人とも荒浜で暮らしていました)をお招きし、共有しながら、再びみなさんが荒浜に行くきっかけを作れれば良いですね。ここまで、田澤さんにお話しいただきました。
ここからは、福島大学の永幡幸司教授にそもそも「暮らしの中の音」や、「音を聞く」とはどういうことなのか、お話をしていただきます。
まず、「音」とは何なのでしょうか。
音には大きく分けて、2つの定義があります。1つ目が、「弾性波」という定義で、2つ目は、「音波によって引き起こされる聴覚的感覚」という定義です。
音の物理的なふるまいを研究する人たちにとっては、1つ目の「弾性波」という定義を使いますが、永幡先生のように騒音など音と人の関わりを研究する人にとっては、2つ目の定義を使用します。
なぜ二つの定義を用いるのか、簡単な例から紹介します。
「プーーーーーーー」永幡先生が音を流します。皆さん聞くことができました。これは、どちらの定義にとっても、音です。
これはどうでしょうか。「………」おや、何も聞こえません。実は、高い周波数の音が流れています。高校生、大学生くらいまでであれば聞こえるそうですが、大人には聞こえない音だそうです。この音は、1つ目の定義では音ですが、二つ目の定義には当てはまりません。
今日話したいのは2つ目の定義での、音です。
音を聞くうえで大事なのは、「誰が」聞いたのかもセットで考える必要があります。
先生は、音響学という分野の中の、騒音、さらにサウンドスケープという分野の研究者だそうです。「サウンドスケープ」とは、landscape(目で見える世界)という言葉をヒントにしたsound(音)+scape(〜の眺め)から成り立つ造語で、「耳で聞こえる世界」という意味です。
研究者からすると、「サウンドスケープ」とは、音環境を、人(々)が自分(達)を取り巻く音の世界をどのように捉えているのかに着目している立場と説明できます。
話は少しそれますが、音の環境問題について考えてみましょう。仙台市が発行している、仙台市の環境現況と実施した施策をまとめた冊子には、「騒音」に関する項目が設けられています。騒音は、公害苦情の中でもかなりの割合を占めています。
でも、音は環境に負の影響を与えるだけなのでしょうか?先生は、音の研究者として、はっきり「ノー」と言いたいと話します。
環境庁(当時)が1996年に行った事業で、「残したい日本の音風景100選」というものがあります。これは、「全国各地で人々が地域のシンボルとして大切にし、将来に残していきたいと願っている音の聞こえる環境(音風景)を広く公募し、音環境を保全するうえで特に意義があると認められるもの」として選定されたものです。実は仙台市からも選ばれていて、「宮城野のスズムシ」や、「広瀬川のカジカガエル」が選定されています。鳴き声も実際に聞いてみました。とても美しいですね。
宮城野のスズムシは、「七振り鳴く」と説明されていますが、先生は最高で5回までしか聞いたことがないそうです。残念ながら現在仙台市内で野生のスズムシは絶滅してしまい、外で鳴いているスズムシがいたとすれば、それは放虫されたものです。
カジカガエルについては、町中で聞けるということがとても珍しく、仙台市のカジカガエルはとても貴重な環境資源といえるそうです。
仙台市の生物多様性保全推進事業では、仙台市にゆかりのあるカジカガエルやカッコウ、スズムシなどの奏でる音に着目した取り組みを行っています。音に着目するのは、とても良い取り組みではないかと先生は話します。でも、まだ不十分なところもあるとのではないかと話します。
例えば、仙台市や、荒浜、自分が住んでいる地域の「音の宝」と言われてすぐに答えられる人は、なかなかいないと思います。まだまだ人々の音に対する意識が向いていないという意味で、もう一段階頑張りたいとのことです。
2010年ころ、サウンドスケープ研究者の間で国際的に「From “Noise as Waste” to “Sound as a Resource”」という言葉が流行したそうです。これは、身の回りの音で「不要な音」である騒音だけに目を向けるのではなく、生活を彩る様々な音を「資源」だという目で見てみようという言葉です。日本の音風景100選や仙台市の生物多様性保全推進事業は好例として挙げられるのではとのことです。
ここでクイズです。荒浜の音はどれでしょう。3つの波音を聞いてみました。
3番目の音に手が多く上がりました。皆さん正解です。このような音も、資源になり得ます。
次に聞くのは…これは祭りのお囃子の音ですね。このような、地域文化に関する音も、資源になり得ます。
資源としての音になり得そうな音は、季節を告げる音、ある場所らしい音、地域文化が育んできた音など様々ありますが、いずれにも共通点があります。それは、「皆がよく知っている音である」「皆が好意的に思っている音である」ということです。今日は「荒浜で、そういう音って何だろう」と考えていきたいと先生は話します。
もしある音に対し皆が皆好意的でなくなると、近年あまり鳴らさなくなっている除夜の鐘のように、騒音問題となる可能性があります。そのため、資源としての音を守るためには、価値の共有を保ち続ける必要があります。そして、地域の環境資源を守るには、その価値を感じている人が周囲に伝え続けていく必要があります。
一方で音はすぐに消えてしまうため、「音を残す」ということはとても難しいことであると言えます。
荒浜は、現在跡地利活用事業で急激に変わりつつあります。
「荒浜で聞こえる音の宝ってどんな音?」「これからも荒浜で聞き続けたい音は?」「昔、荒浜で聞いた音で復活させたい音は?」このようなことを考えながら管理しないと、音は消えてしまいます。消えてしまうということは、宝がなくなってしまうことを意味します。それを防ぐために、みんなで荒浜の宝を探そうというのがやりたいことです。
今日は実際に荒浜に暮らしていた、海辺の図書館の専属カメラマンである佐藤豊さん、音楽家の佐藤那美さんにも来てもらって、耳の記憶に頼りながらこれからも聞き続けたい音の宝とはなんだろうかということを議論していきたいと思います。
ここまで永幡先生にお話しいただきました。ここからは、佐藤豊さん、佐藤那美さんにも参加いただき、お話を伺いたいと思います。
まずお話を伺うのは、昭和12年生まれの佐藤豊さんです。佐藤豊さんは、深沼海水浴場のそばにある「海辺の図書館」を活動拠点にしながら、さまざまな荒浜の光景を写真に収めたり、集めたりしています。
これは豊さんが撮影した荒浜の写真です。テトラポットがあると、波がぶつかり荒々しい音が聞こえるそうですが、豊さんが小さかった頃は、テトラポットはなく砂浜だったそうで、今ほど大きな波音はしなかったそうです。
これは震災後の荒浜の様子です。撮影されたのは2011年の5月頃で、震災直後はがれきしかなかった荒浜に緑が復活したのを見たとき、自然の強さを実感したそうです。
これは貞山堀の写真で、荒浜を象徴する風景です。荒浜では、昔から灯篭流しが行われてきました。震災後も1回も休むことなく続いているそうです。
この写真は、どういった理由で選ばれたのでしょうか。
今回永幡先生から音の思い出、宝と言われたときに、荒浜の音と言えば初めは波の音しか思い浮かばなかったが、井戸ポンプを思い出したとのことです。井戸ポンプは使うときに「ガッチャン」と音が出るため、「ガッチャンポンプ」と豊さんは呼んでいたそうです。この井戸を見るたび、音が思い浮かんできたそうです。たまたま荒浜でこのポンプを見つけ、うれしくなって撮影したそうです。去年からこのポンプはなくなり、井戸だけになっているそうですが、別の場所に2か所設置され、豊さんにとって思い出のポンプの姿は、まだ残っているそうです。
最後にこちらの写真です。豊さんは、音のない風景も好きとのことで、しんしんとしたとても静かな時に飛行機雲が表れ、その瞬間を良いなと感じ、この写真を撮ったそうです。
田澤さんは、自分のような外部の人から見ると、荒浜の音と言えば荒々しい波の音という印象ですが、豊さんにとってはいつも聞いていたために音としての認識がなかったというのも印象的で、また音のない風景も好きというのが荒浜に暮らしてきた豊さんらしい視点だと思う、と話しました。
続いてここからは、佐藤那美さんのお話を伺います。
佐藤那美さんは、1990年生まれ、荒浜で育ちました。荒浜には、6つの地区があり、その中でも80年代にできた新興住宅街の、新町で育ったそうです。
会場では佐藤那美さんが作った曲を流しながらお話しいただいています。曲は、「Arahama」というタイトルで、2017年、荒浜の海岸で震災後初めての海開きが行われた時の音を録音し、その音を使って作った曲だそうです。
豊さんの時代は今と違い、お金で何でも買えるような時代ではなく、今よりも環境と生活がとても密接で、「盆踊りの音」「ガッチャンポンプの音」などいろいろな音が存在していたのではないかと話します。那美さんが荒浜に育ったころに覚えている音は「消防団の火の用心の音」「小学校の鐘の音」「キジの鳴き声」などで、今では失われた音もあります。
次に聞く曲は、三本塚でずんだ餅を作っている時の音を散りばめた曲です。ぽんぽんとずんだもちをつくときのすりこぎの音がたくさん使用され、作っているときの人の声も入っています。
このように、音楽を作って今ある音に価値をつけたり、記録するということは、違う国の誰かやここにいない誰かにも聞いてもらい、価値のあるものだと認識してもらうこともできるため、とても意味があることなのではないかと話します。そして、価値のある音を記録できるように頑張りたいと締めくくってくださいました。
ここからは田澤さんから、永幡先生、佐藤豊さん、佐藤那美さんの3人にお話を伺っていきます。
ある意味よそものである永幡先生にとって、荒浜の一番印象に残っている音は何なのでしょうか。永幡先生にとっては、荒浜の荒波の音だそうです。先生が録音した音も聞いていただきました。またキジも印象的で、キジの鳴き声の後になかなか録音できない羽を打つ音を録音できたことがとてもうれしく、荒浜と言えばキジというイメージができたそうです。灯篭流しでの念仏の音も印象的で、若い人は歌えない念仏を、どうにか後世に残していきたいとのことです。荒浜の風景が変わりつつある中、このような音をどうやって残していくかが今問われているのではないかと永幡先生は話します。
どんづきの音のお話を、佐藤豊さんからお話しいただきました。どんづきとは地ならしの意味で、昔は丸太を滑車につなぎ、地面に落として地ならしをしていたそうです。その時にみなで歌を歌って、力を合わせていたそうです。ただ今はその歌を覚えていないそうです。
田澤さんは、現在はみなで力を合わせるという場面が少なくなったたため、作業歌自体が失われていると話します。昔は田植えをするときにも歌を歌っていたり、冒頭に登場したエグリガッコでも歌を歌っていたのではないかとのことです。
佐藤那美さんは、音楽の起源は生活から出てきた音や、自然の音を真似したところから生まれたという説もあり、作業歌が生まれたことはとても自然なことなのではないかと話します。
最後に田澤さんは、今日のテーマは「荒浜の宝を探して」ですが、目に見えなくなってしまった宝があるということを考えさせられる一方、話を聞くことによって残せる宝もたくさんあり、ぜひ荒浜を訪れて色々な宝を見つけてほしいと締めくくりました。
今日の講座では、鳴り砂の体験コーナーも用意されました。用意してくださったのは、仙台湾鳴り砂探究会代表の早川さんです。早川さんは、主に仙台湾を中心に鳴り砂の調査をされています。
私も実際に体験してみました。ぐい飲みに砂を入れ、乾電池で砂を押します。すると、きゅっきゅっと音が鳴りました。日本各地の鳴り砂の中でも、日本海側の砂は比較的よく鳴るそうで、荒波で砂が磨かれることが理由だそうです。
荒浜の砂も震災の後は全く鳴らなかったそうですが、震災後時間がたち、鳴るようになってきたそうです。防潮堤がない場所とある場所では鳴き方が違い、防潮堤がない場所の方が、波によく洗われるため、よく鳴くそうです。また季節では、夏よりも冬の方がよく鳴くそうで、夏は日焼け止めの油によって砂が汚れてしまうからだそうです。環境を守ることの大切さがよく分かりますね。
「耳の記憶/音の記録」は今後も実施予定ですので、ぜひまた参加してみてくださいね!